流民のうた2011/01/15 22:49

わたしには家族がいないので財産を残す動機などないし、入院でもしない限りは死ぬときはひとりです。きっと。 孤独死などとニュース記事は書きますがわたしの周囲では珍しくもなくなるだろうと思います。 「人生は所詮死ぬまでの暇つぶし」とうそぶいていた若い時分と違うのは人生には終わりがあることが現実的に感じられるということです。正月に帰省したときに老母と「最近は江戸時代もそう昔のこととは思えない」と話したのですが、50年や100年といってもそう長い時間でもないように感じられます。一方で50年で暮らしぶりも世界もまったく変わってしまいました。 40年前に新しい家族の家々が並んだ住宅地から成人した子供はただ外に出てゆき、老人だけが残る。財産代わりに授けた教育のおかげで子供は世界を流浪する。専門家としてキャリアを積んだばかりにかえって住む場所は選べなくなる。 これじゃあ流民じゃないか。と思うのです。

LED ZEPPELINの"Rain Song"がシミる夜だなあ。 もうロバートプラントも60過ぎた爺さんなんだなあ。

本屋の消滅2011/01/10 22:40

正月に帰省した折に実家の近所を散歩しました。毎年徐々に駅前の商店街は寂れていてもはや商店街とは呼べないものに成り果てています。子供の頃は新興住宅地の若い夫婦や子供があふれていて駅前の小さなスーパーのピンボールでよく遊んだことを覚えています。何時間も立ち読みした本屋もとうに無くなってしまいました。 ここ10年ほどの間に本屋がどんどん潰れているのは今住んでいる町でも同じ事です。わたしは毎月5万円は本屋につぎ込みますが、その100%がアマゾンです。町の本屋に読みたくなるような本はないし、仮にあったとしても探すのが面倒で。趣味の道具もほとんどすべて通信販売で買ったものです。地方都市にはそういう店がないこともありますが。アメリカに住んでいたときには近所のBarnes&Nobleによく行きましたが、店内のカフェで棚の本を読めるので腰を据えた立ち読みができました。これでいいのか?とも思いますが結局は何か買って行くので商売としてはOKなんでしょうか?この町にこんな本に興味を持ち理解できるひとが何人いるのよ?と思うような本も置いていましたが、もともと本屋に期待しているのはそういう本との出会いです。そういう点で日本の地方の本屋さんは悲惨なものです。その悲惨な状況を救ってくれたアマゾンには感謝しているのですが町から本屋が姿を消しつつあることは文化的にどうなのか?スーパーとユニクロ、飯屋しかない町にひとは住めるのかと。

町の天文家2011/01/07 21:34

わたしが子供の頃に使っていた望遠鏡は赤道儀に載ってはいたもののすべてが手動でした。高価なオプションのモーター駆動もせいぜい赤経軸の運転ぐらいで、写真を撮るとなると十字レチクルのアイピースをのぞきながら自分でガイドすることが必要でした。小型の赤道儀を手動で45分ガイドすることも珍しくはありませんでした。 赤道儀の手動ガイドは何年か前の冬に10分のガイド撮影をしたことがありますが気が滅入るし、なにより寒さに耐えられませんでした。今どきの撮影には電源は必須です。赤道儀自身の消費電力はたいしたことがありませんが、撮影用カメラやガイドなどに使うPCやとりわけ冷却CCDカメラの消費電力はばかになりません。重いバッテリーで撮影していたこともあるのですが特に冬場はもちが悪くて頼りになりませんでした。その対策にガソリンエンジンの発電機を買ったのですが昼間の試運転で騒音に驚いてしまい込みました。 結局は部屋のコンセントから長いケーブルを引いて撮影しているのですが、電気切れの心配がない代わりに町の明かりの中で撮影することになりました。こんな場所でも思っていたよりは写るのですが少しでも雲やガスがあると町の明かりを反射して空全体が白んでしまいます。